back to the 琉球王国

vol.20 琉球王朝文化は、どのようにして生まれたのでしょうか?(2)

空手、絣、そして京都、奈良につぐ国宝建築物

 現在、世界には約、四千万人の空手マンがいるとも言われています。空手も、琉球王国で生まれて、本土、そして世界の国々へと広がりました。空手のルーツは、インドで生まれた武術です。今から、一五〇〇年前、インドから中国に仏教を広めにきた達磨大師が、少林寺でお坊さん達に、健康術として教えたのが身をまもる武術へと変わっていきました。琉球と中国が交流を始めた十四世紀の頃、沖縄の人が中国で学んで持ち帰ったのが唐手とよばれるようになりました。もともと、琉球にあった古武術にとりいれられた唐手は、昭和の初めのころ、空手と名づけられて本土に上陸し、全国に広まるようになりました。
  八重山上布、宮古上布、芭蕉布、首里花織り、読谷山花織り、などの琉球絣(かすり)の数多くの織物も、十四、五世紀の頃、東南アジアの織物が琉球にわたってきて生まれたものです。絣の文様は六百種もあり、ヨーロッパからも絣の技術の高さが認められています。こ れらの絣も本土にわたり、薩摩絣、久留米絣、伊予絣などのルーツとなっていきました。当時の琉球国は、東南アジアと本土との中継地の役割を果たしていたと言えます。
 また、琉球の人々は、各国の技術を取り入れたいろいろな建物も作りました。国宝とは、「有形文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝となるもの」と定められています。第二次大戦前の沖縄には、琉球王国時代に作られた建物のなかから、国宝に指定されたものが二二件もありました。大正、昭和の初めに本土から調査にきた専門家は、琉球建築の文化価値にいちように驚いたと言われています。戦前の首里城、円覚寺、崇元寺、末吉宮、沖宮、園比屋武御嶽石門、弁ヶ嶽石門、などは国宝として指定されていましたが、ことごとく戦災で原型をとどめないほどに消えてしまいました。現在、京都府四五件、奈良県六一件、滋賀県二二件の国宝建築物があります。王国時代の旧国宝の数をみると、琉球は京都、奈良につぐほどの文化をもっていた国と言えます。

vol.21  琉球の最初の王様と言われた人は? 人物シリーズ(1)→  上へ↑
バックナンバー一覧→
[←トップページへ]
Copyright(c) 2006 亀島靖&アルテピナコテーク沖縄. All rights reserved.
本ウェブサイト内に掲載の記事・写真・イラストなどの無断転用を一切禁じます。
琉球ナビ