vol.19 琉球王朝文化は、どのようにして生まれたのでしょうか? |
|
外国から入ってきたサンシンが日本文化のルーツに!
私たちが、今、沖縄の文化として大切に受けついでいる、琉球舞踊、紅型、絣の織物、焼き物、漆器、サンシン、泡盛、空手、琉球料理などがあります。この琉球文化のルーツのほとんどは、外国から入ってきました。首里城が完成した十五世紀はじめ、尚巴志が那覇の港を大きくして、東南アジアとの海外貿易を拡大したころ、中国、東南アジア、朝鮮国、などの異国の文化がいちどきに琉球国に渡ってきたと考えられます。そして、琉球の人々は、これらの異国の文化を、長い時間をかけて、知恵をしぼり工夫をかさね、よそにみられない琉球だけの文化として誕生させました。また、琉球で生まれた文化が、北上して本土に渡り、日本文化のルーツとなっていくものもありました。その代表的なものがサンシンです。
サンシンは、古代エジプトのノフルという楽器が、ペルシャ、インドを通って中国へ伝わって「三弦」となり、十四世紀後半のころに琉球へ渡ってきました。琉球の人達は、三弦の棹を小さくして沖縄だけにしかないサンシンを作りあげました。サンシンは中国の使節をもてなす宮廷舞踊の伴奏楽器となり、神歌や、民謡にもとりいれられ、しだいに琉球全島へと広がっていきました。また、サンシンは十六世紀の室町時代に、琉球から大坂の堺へとつたわりました。最初にサンシンを手にした琵琶法師の人達が、手に入りにくい高価な蛇の皮からネコの皮に胴皮をはりかえて、三味線をつくりだしました。
京都の四条河原の芸人達が使って人気の出た三味線は、江戸時代になると、各地から米を運ぶ北前船に乗って、日本全国へと広がっていきました。徳島県の阿波踊り、熊本県牛深のハイヤ節、佐渡おけさ、などもサンシンが本土に上陸して作られた民謡と言えます。最後に青森県に定着した三味線は、太棹の津軽三味線になりました。現在、日本が世界に誇る芸術・歌舞伎や、国指定重要無形文化財・組み踊りは、サンシンがなければ生まれなかったとも言われています。 |
| バックナンバー一覧→ |