vol.18 首里城は、いつ、だれが作ったのでしょうか?(2) |
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戦争のための城ではなく、さまざまな役割をもった建物
首里城は、中国の「風水」のルールを使って作られています。風水とは、中国で古くから、宮殿、家、墓を建築するとき、その向きを決めるために用いられる方法です。地形をみて、太陽の光、風の向き、水の場所が、人の住むのに適しているかどうかを調べる術です。中国の紫禁城(しきんじょう)、朝鮮国の景福宮(キョンボックン)、京都の御所、などは風水の「方角のルール」をとりいれて、南向きに作られました。
風水では皇帝、天皇、国王という、一国の代表者は、守り神である北斗七星を背中にし、南向きに座るのが正しい方角とされています。しかし、南海にある首里城だけは、なぜか、西を向いて作られています。一説には、太陽の子〔てだこ〕とたたえられた国王が、朝日を背にして座るからとも言われています。しかし、首里城が西を向いている理由は、風水のルールの中で最も優先される、「背中が高くて、前が低くひろがる地形〔背高面低〕」、という地形の条件にあわせたためでした。標高一二〇メートルの石灰岩の上に立つ首里城の東には、その背中を守るかのように一六五メートルの弁ヶ嶽(べんがだけ)があり、首里城の右には、安里・久茂地川の源である金城川があります。また、龍潭(りゅうたん)は、中国人・懐機が風水の条件を仕上げるために作った人工の池です。このような地理的条件をとりいれたり、池を配置したのも風水の条件をみたすためでした。首里城を守るかのような豊見城・小禄の丘や北谷、読谷の丘は宮殿をつくるための理想的な地形でした。尚巴志が平和な国のシンボルとして作った首里城は、たんなる戦争のための城ではなく、さまざまな役割をもった建物でした。
城内に十の御嶽をもつ首里城は、伊勢神宮のような神地でもありました。また、法律を作る国会議事堂、政治を行う役所、警察署、中国大使を迎える迎賓館、組み踊りを行う国立劇場、最高裁判所、王族の住む王宮、などの働きをもつおおやけの施設でした。その意味では首里城はキャッスル(城)ではなく、むしろ、パレス(宮殿)であったと言えます。 |
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