back to the 琉球王国

vol.17 首里城は、いつ、だれが作ったのでしょうか?(1)

琉球を初めて統一した王

 現在の首里城の形となるものは、十五世紀の初め、尚巴志(しょうはし)によって作られました。尚巴志は、北山、中山、南山と三つの国に分かれていた琉球を、はじめて一つの国にまとめた王様です。また、琉球の王様の姓となる「尚」を中国皇帝からもらい、琉球全体の王として、中国に認められた人です。
 尚巴志は、臣下の中国人・懐機(かいき)に中国の王宮、紫禁城(しきんじょう)の建築法を学ばせて、首里城を建造しました。紫とは、天地をつかさどる天帝が住む宮殿、禁とは人民が近づくのを禁じることを意味します。首里城の正殿は、紫禁城の太和殿を手本にして作られ、首里城は紫禁城ともよばれていました。中国の最新の建築技術をとりいれ、琉球国の総力をそそいで作られた首里城は、当時の琉球の人々をおどろかすほどの壮大な建物として完成しました。国を統一した英雄は、自分の力をあらわす方法として大きな建造物をつくるのが常といわれます。南北朝を統一した足利義満は金閣寺を建立し、豊臣秀吉は大阪城をつくりあげ、それぞれ天下人としての権力を日本中にしめしました。尚巴志もまた首里城をつくることによって、誰が琉球の世の主であるかを、国内外にしめしたと考えられます。
 巨大な首里城は、琉球の民には琉球を統一して平和な国づくりをめざす尚巴志の強大な力をみせつけることになりました。さらに首里城は、中国、朝鮮国、日本、東南アジアなどの諸外国に対して、首里城の持ち主が琉球国の代表者、尚巴志であることを証明する役割ももっていました。首里城は、後の王様達によって、石垣の拡張、大竜柱、継世門、大和式の南殿、などが増築され、ながい年月をかけて現在の形にととのえられました。しかし、尚巴志の時代より前の首里城については、くわしいことは分かっていません。古い伝説の天孫王統の頃につくられたとも伝わっています。その頃の首里城は、古いグスクの形で、敵をふせぐために岩場を利用した小さなトリデであったとも考えられます。

vol.18  首里城は、いつ、だれが作ったのでしょうか?(2)→  上へ↑
バックナンバー一覧→
[←トップページへ]
Copyright(c) 2006 亀島靖&アルテピナコテーク沖縄. All rights reserved.
本ウェブサイト内に掲載の記事・写真・イラストなどの無断転用を一切禁じます。
琉球ナビ