vol.16 沖縄のグスクは、日本のお城とどうちがうのでしょうか?
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信仰と立地と曲線
本土の城は、戦のために作られました。また、中国の城は町全体をまもるために作られ、日本の城は町の中心にあります。沖縄の城はグスク、またはスクとよばれ、本土の山城のように小高い丘の上につくられているのが普通です。グスクとは、神を祭る岩場である「城」、「磯城」という古語が変化したものとも考えられます。また、決められた場所を示す「御敷」が、語源ともいわれています。
王朝時代、本島と各島々、さらに先島諸島をふくめ二四七ヶ所のグスクが作られました。これらのグスクは、周囲に石垣をはりめぐらし、戦のためにきづかれた今帰仁城、勝連城、中城城などだけではなく、人が住むにはスペースの小さい、神聖な場所としての玉城グスク、明東グスクなど、目的によっていろいろな形に分かれています。グスクは、単なる戦いのための建物ではありませんでした。
沖縄のグスクと本土の城と比べると、大きな違いが三つあります。一つめは、グスクには必ず、地域の神様をまつるイビという場所があります。本土には、後に、城主をまつった神社などがたてられた城はありますが、最初から神様をまつっている城はほとんどありません。二つめは、グスクは海上からみえる丘の上にあることです。これは、沖を行く日本の船を港によびよせ、水と食糧などをあげるかわりに、相手から鉄をゆずってもらうためです。各グスクは、その地に良い港をもっていました。グスクと、港はワンセットになっていたのです。沖縄でとれない鉄は、武器と農具の材料として、豪族・按司たちがほしがる貴重品でした。三つ目は、日本の城が直線の石垣つくりに対して、グスクの石垣は曲線で作られています。高い丘の上に吹きつける台風の風力を分散させるために、抵抗が大きい直線より、風を吹き分ける曲線を選んだわけです。曲線は美しくみせるためではなく、自然とのたたかいの結果に生まれた、ウチナーンチュの知恵だったといえます。 |
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