back to the 琉球王国

vol.15 なぜ、小さな琉球国が中国に大事にされたのでしょうか?

火薬の材料国であった琉球

 一三七二年、琉球は中国の皇帝から、琉球国王を認めてもらう冊封国として、中国と交流をはじめます。当時、モンゴル、ベトナム、タイ、朝鮮国、日本、琉球国など、アジアの国々も中国の冊封体制のもとで、リーダーの中国に貢ぎ物をとどける「朝貢貿易」をおこないました。朝貢品にたいして中国は、その数倍も価値のある陶器、鉄器や、高級な絹織物、などを「下賜品」として冊封国にさずけます。琉球国は、そのほかにも、二百名乗りの「進貢船(しんこうせん)」とよばれた中国の大船を毎年のようにあたえられました。また、琉球の留学生を特別にうけいれ、最新の文化を琉球にもたらしました。国立大学の「国子監」には、琉球留学生のための教授たちも任命され、琉球は別格のあつかいを受けています。北京では、他の外国が禁止されている商いも、琉球の使いだけには許されました。さらに、明王朝がもよおす公式行事の時にも、琉球の使いは上座にすわる扱いをうけています。
 琉球の新しい国王即位の「冊封の儀式」をおこなうため、明王朝は冊封使を琉球につかわしました。三〜五百名にものぼるおおぜいの使節団は、冊封をとどこおりなくすませた後、半年ほど滞在し、その間に中国の文化、文明を琉球につたえました。冊封使には、帰国すると大臣クラスをつとめるほどの優秀な人が任命されていました。日本は中国の二五分の一、琉球は、中国の四一七五分の一の面積しかありません。なぜ、こんな小さな琉球国に、遭難を覚悟して海をわたり、命をかけてまで冊封使たちはやってきたのでしょうか?それは、小国琉球を中国が必要としていたからです。中国への貢ぎ物の中には、かならず硫黄がふくまれていました。中国では良質の硫黄がとれず、琉球の硫黄は炭、硝石とまぜると火薬になりました。火薬は、戦乱の続く中国では最新兵器として、皇帝が常に必要とする品でした。火薬の材料国琉球に、つねに中国のいうことを聞かせる方法として琉球国を大事にしたわけです。

vol.16  沖縄のグスクは、日本のお城とどうちがうのでしょうか?→  上へ↑
バックナンバー一覧→
[←トップページへ]
Copyright(c) 2006 亀島靖&アルテピナコテーク沖縄. All rights reserved.
本ウェブサイト内に掲載の記事・写真・イラストなどの無断転用を一切禁じます。
琉球ナビ