vol.8 沖縄にある世界遺産とは、なんでしょう?(2) |
|
なぜ琉球王国が生まれ、独特の王朝文化が発達してきたのかが見えてくる
沖縄県で世界遺産として登録された史跡は、現在、九つあります。北の今帰仁城跡から南の斎場御嶽まで、直線距離にして六十キロのあいだに、点々としてそれぞれの史跡がつらなっています。また、これから新しく登録される可能性がある史跡もあります。しかし、登録されるためには、いろいろな条件を満たさなければなりません。たとえば、ひろく知れわたっていること、真実性があること、土地、建物のように場所を移せないこと、ほかと区別ができる広がり・区域をもつこと、国の指定文化財であることなどです。これらの条件をみたせば、他の城跡や史跡も世界遺産に登録することができます。
私達は、世界遺産を見るとき、注意をする点があります。それは、これらの遺産を前にしたとき、たんなる「モノ」として見たり、考えたりしてはいないかということです。「文化に接するとは、文化を生み出し文化をはぐくんだ風土や、人物、とくに人物の考え方、行動を知らないといけない」と言われています。今帰仁城や、首里城、その他の遺産を見るとき、建物や、石垣を見るだけではなく、それが作られた時代、それを作った尚巴志という王様、また勇将とうたわれた護佐丸という人物を思いうかべる必要があります。彼らは何の目的で城や建物を作ったのか?どうやって作る技術を学んだのか?自分が、玉陵を作った尚真王になったつもりで遺産を見ると、その時代がみえてきます。
九つの遺跡の背景には、それぞれ今帰仁の最後の城主、攀安知(はんあんち)、勝連の若き城主、阿麻和利(あわまり)、斎場御嶽(せいふぁうたき)で最初の儀式を行った女性、音智殿茂金(おとちとのもいかね)、玉陵(たまうどぅん)にねむる尚円王と王妃おぎやか、識名園を作った第二尚家・十五代国王、尚温、竹富島から首里に上り、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)をつくった西塘(にしとう)、尚巴志を助けて天下統一をなしとげ、首里城の外庭に龍潭池(りゅうたんいけ)をつくった中国人、懐機(かいき)など、いろいろな人が登場します。その人達のこと考えながら世界遺産を見ると、なぜ、琉球王国が生まれ、独特の王朝文化が発達してきたのかが見えてきます。 |
vol.09 中国の古いお金が沖縄で発見されるのは、なぜでしょうか?→ 上へ↑
バックナンバー一覧→ |