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vol.4 「琉球」と「沖縄」はどうちがうのか?(1)

「琉球」〜「龍の子」・「光り輝く島」

 私達は、現在でも県内の大学や、銀行、またいろいろな会社の名前のなかに、「琉球」、「沖縄」、という字をよく目にします。なぜ、琉球史の中で、琉球と沖縄という二つの言葉が使われているのでしょうか? この言葉の違いにも、古い歴史があります。
琉球とは、私達の祖先が作り出した言葉ではありません。一三七二年、浦添の王様だった察度(さっと)が明国(中国)と「冊封」の名の下で、正式に国同志の交流をはじめた時、明王朝の建国の祖である皇帝・洪武帝からさずかった名前が琉球という国名です。 もっとも、今から三〇〇〇年以上も前から、中国人は沖縄に渡来していました。彼らは先島諸島へもひんぱんに訪れ、光り輝く宝貝や、夜光貝を取りに来たと言われています。 殷王朝は、鉄銭や銅銭を用いる以前、これらの南西諸島の貝殻を当初、貨幣に用いていました。「財、貯、貢、・・・」等、に貝の字が含まれるのは、その為と考えられています。 西暦八世紀頃、日本は聖徳太子の時代に、沖縄を訪れた中国人・朱寛は、沖縄本島をりゅうちゅう(りゅうちゅう・龍の子)とよんでいます。中国人は、南北にのびている沖縄の島は、まるで龍の子供が、海に横たわっているようであると表現したわけです。それが、発音が同じと言うことで琉球という文字に変わりました。 琉とは、瑠璃(ガラス)のように光り輝くと言うことで、琉球とは、「光り輝く玉(球)のような島」という意味です。中国人にとって、亜熱帯の琉球の島々は光り輝く島という、あこがれの意味もこめられていたと思われます。 中国人は東方思想という、「東の彼方には、不老長寿の仙人が住む蓬莱島」、ユートピア(夢の国)があるという考えをもっていました。秦の始皇帝に大船を作らせ、数百人の児童達と共に船出をし、不老長寿の薬を求めて日本に上陸したと伝わる徐福は、この東方思想を具現化した人物と言えます。
中国・皇帝からもらった琉球という名前を国名とし、琉球は南海の王国として朝鮮国、中国、日本、東南アジアの国々と国際貿易を展開していきます。明王朝から保証された「琉球」という名称は、絶大な信用度を持ったブランドとして、各国との交易拡大に力を発揮していきました。また、十六世紀、ポルトガル人がレキオス、レキオと呼んだ国名も琉球が変化したものです。一八七九年、廃藩置県によって琉球王国が消えてなくなるまで、沖縄には独立した王国が存在していたことになります。

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