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神の島・久高島とは?
琉球の島々の建国神であり、またウチナーンチュの祖先と伝えられるアマミキョ(女神)とシネリキョ(男神)の兄妹は、はるか海の彼方にある理想郷ニライカナイから久高島に降臨します。島の北端に位置するカーベル岬に降臨し、島の中央にクボー御嶽を作ります。二人は、ニライカナイから穀物の種をもらい、久高島に播きました。その後、二人は対岸のセーファーウタキ(斎場御嶽)に渡ります。さらに、アマミキョ一族を形成すると首里に進出し、琉球初めての王朝を開いたという神話が伝えられています。 |
黒潮民族と日本、そして琉球
今から五,六千年前に南太平洋から黒潮に乗って、琉球列島に北上してくる黒潮民族、漁労集団がいます。彼らは、二万年から三万年前、東南アジアから一度、南太平洋に南下していった古いアジア人・モンゴロイド人達です。何千年もの間、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアなどの南海で、長い歴史の時を経て漁業と造船技術、操船技術を身につけて再び、北上してきた人達と考えられます。南太平洋の島々で暮らしていた海洋民族は、何千年もたつと、だんだん人口が増え、食糧をめぐって争いが発生するようになります。その結果、戦いに負けた部族は、一族郎党、家畜も船に積んで、黒潮にのって次の島を目指して旅立ちます。故郷の島を出た一族は、黒潮に回流する豊富な魚群を追って、北へ北へと進み、東南アジア、琉球列島、日本列島まで北上して、地域に上陸し住み着くようになります。日本へ到達した海洋民族は、海人と呼ばれる種族へと変わって定住していきます。海部、宗像、等の一族や、また、黒潮の流れる地域には潜水漁法などの海洋文化を継承した人々が住み着きました。
久高島に渡来してきた海洋民族・アマミキョの集団は、航海する時、上陸した島で食糧を確保するために、穀物の種子を持って移動してきました。これが、久高島が沖縄での五穀(稲・麦・粟・豆・黍または稗)の発祥地となる理由にもなります。穀物伝来の伝説として、イシキ浜に五穀の種の入った壺が漂着する話があります。十七世紀の頃まで、琉球王朝は、歴代の王様が穀物発祥の地として一年おきの二月に、国王、聞得大君、神女達が久高島に渡り麦のミンキヨマ(初穂儀礼)の国家行事を行っていました。アマミキョ集団は、稲を栽培する場所として対岸の本島に渡り始めます。それは、稲作、飲料としての水源が確保できる場所でもありました。久高島から知念村、玉城村に渡る経路には、アマミキョに関する数々の神話、伝説が生まれました。
アマミキョ神話にまつわる遺跡
◆アマミキョが上陸した久高島のカベール御嶽
◆アマミキョが作ったクボー御嶽
◆五穀の壺が流れ着いたイシキ浜

亀島靖解説付き久高島ツアーもあります。>>7/22(日)、8/5(日)出発
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